君がいて、ア僕がいると、浜は言う。
- 2008/05/18(日) 10:41:13
ミャンマー、中国にて立て続けに災害が起こった。
規模も被害も双方、甚大。
こうやって客観的によその被害を見る事で改めて自分は幸せだと思う。
水、食べ物、寝床、衣服、仕事、交通手段・・・ここまで完璧に欠けずに身の回りにある事が奇跡のように見える。
同時にココでなくて良かったと思う。
残酷なもので、多少の募金をしてもどこか罪悪感がある。
こういう時、倫理的には私が取るべき一番正しい行為とは、何だろう。
自他共に認められる行為とは、存在するのだろうか。
約30年分の人生で、怠けながらも学んだ事は結構ある。
さらに30年生きてもこういった倫理観は完璧になる気がしない。
その時常に自分が出来る事をしているだけだと思う。
多分、皆そうなのだろう。
明日は我が身、いざ自分が当事者になった時、結局初めて学ぶのかもしれない。
私は、少しでも足しになるよう、少しの募金をする事にする。
エコロジー、自分自身にも、気遣いを。
- 2008/04/30(水) 15:40:26
昨日からゴールデンウィークに入った。
といっても、派遣の身に大型連休は痛いだけであまり嬉しくない。
大型だろうが小型だろうが、特に予定があるわけでもないのだ。
しかし、せっかく久々に平日が暇になったのだから平日しか出来ない事を、
初めての献血を試みようと赤十字センターまで行ってきた。
元々私は健康診断の採血程度でもすぐ気分が悪くなってしまう。
しばらく前にHIVの検査に行った時もやはり目を回した。
なので献血の種類を受付のお姉さんに相談したところ、
お姉さんは医務室の先生に聞きに行った。
少しして先生が何やらオドオドと貧相な顔で、すみませんと謝りながら出てきて
問診表を書く為に並べられている席を私に勧めた。
当然書くのだろうと机に向かって座ったら先生は私の真横に
ひざまずく形に姿勢を低くし、オドオドしながら言った。
「申し訳ございません。貧血症の方はちょっとご遠慮頂いてまして・・・」
丁重にお断りされた。
あくまでもボランティアで成り立つ献血は問診等を通して
ある程度提供者にとって安全だと確認できない場合、
血を抜かないという事らしい。
立ちくらみ、貧血症程度でもしばらく寝ていれば直ると血を抜いて、
その後トイレでこけて頭打って死んだとなったら責任問題になってしまう可能性がある。
基本的に血さえ健康なら良いというものでは、ないのだ。
骨髄バンクの方も採血が数回ある事や、骨髄(すなわち血を作る組織)を抜く行為であるという理由で断られた。
その先生によると、事実、全身麻酔を施し、いざ血を抜いたら本人が急激な
低血圧を起こして結局自分の体に戻したという事もあるそうだ。
先生も、今度はお姉さんもオドオドしながら
「せっかく来て頂いたのに申し訳ないです。せめてお飲み物でも飲んで、
ゆっくりしていって下さい。また体質が変わったらお願いしますね」と言った。
申し訳ないのはこっちである。
私はオドオドし、コーヒーを頂いた。
それにしても目を開けば、当たり前のように健康な人間が視界に入る。
自分もその一人だと、献血(良い事)をするのだと、浮かれていた気がする。
自分が健康でなければ、他人の健康の手助けなど当然出来ない。
献血をする側とされる側が逆転することもあるだろう。
そして、怪我病気等での手術は毎日いたる所で行われており、
それに伴って当たり前のように輸血が行われていると想像できるが、
よくそんなに血があったものだと本日初めて感心した。
赤十字センターで採血を終えて休憩されていたのはたった二人。
採血室にはその時だれもいなかった。
私の地元だけで考えても病院の数は赤十字センターの何倍だろう。
とりあえず、私は体質改善をして行こうと思う。
カメラ好き、自分の心、写るもの。
- 2008/03/30(日) 22:09:47
先日、我が家にてたこ焼きハウスパーティがあった。
オーストラリア人の友達が一人、日本人の友達が二人来たのだが
酒も入って盛り上がってきたところで一人の日本人がカメラを出したので
私ももう一人もつられて料理や友達を撮り出したのだが、
オーストラリア人はカメラを持ってきていなかった。
撮っても、別に送ってくれというわけでもない。
しばらくしてまた写真の撮りあいになった時、
「これが日本人の一番嫌なところの一つ」といわれた。
確かに日本人はミーハー率も高く、パー子的素質も持ち合わせている。
しかし友達同士で過ごす時間にとる写真は別に深い意味はなく
ただ思い出にとっているだけだと思うのだが
彼女は「見せびらかしたいからとっている人がいる」という。
そういう人も多いからそう思うのだろうというのも分かる。
現にトロントにいたとき、私は限られた生活の一部を写真に収めていたが
トロント人にとってはただの日常であり、誰も写真など欲しがることはなかったし、
やはり写真を嫌がる人も多かった。
私はそれ以来外国人の人と過ごす時あまりカメラを出さないようにしているが
今回は友達同士のパーティだったこともあり、
モロに撮っていたのでそれを言われて多少のショックを受けた。
良い機会でもあったので写真を撮る日本人(私)の気持ちを正直に伝えた。
彼女は本心かどうかわからないが「あなたたちは友達だからいい」と言ってくれた。
写真に残す事はアーティストでもない限り、それほど大きな意味はない。
それよりただその場を楽しくすごしていればいいという考え、格好良いので好きだ。
しかし私の中のパー子はいつも、うずうずする。
性質が、性格を産み、ヒトと成す。
- 2008/02/26(火) 00:56:38
私は、こまかい。
とにかく、こまかい。
特に、仕事やルールに、こまかい。
この「性格」が嫌だった。
自分に求める完璧を他人にも求める。
生じる摩擦に苦しみ、他人も自分も悲しませる。
最初、私は自分がこまかい事を知らなかった。
私は一生懸命やるけど、周りはやらないと思っていた。
先輩からは私だけ可愛がられた。
私は自分が頑張ったからだと思った。
しばらくして仕事に慣れてくると、先輩もろくに働かないように見えた。
やがて上司も、適当に仕事して金をもらっていると思った。
皆に嫌われているお局がいた。
皆に嫌われ、皆を嫌っていた。
そのお局に、私も例外なく嫌われた。
そして案の定嫌がらせをされた。
文句言わせぬよう、努力した。
お局は、必死で私のミスを探した。
ミスが見つからないと、他人のミスをひっぱりだしてきて私をしかった。
誰の目にもあからさまな、それは、紛れもない嫌がらせだった。
振り返ったら、周りにはのんきに笑う皆がいた。
頑張る意味を見失った。
私はオフィスの中で一番のんびり仕事をするが、人間的におっとり優しい先輩をうらやましく思った。こんな風になりたい、と思った。
いろんなタイミングが重なって、私は転職した。
新しい職場で、あの先輩みたいに仕事していこうと思った。
私に引継ぎをしてくれる女性は、それはそれはおっとりで優しく、
机の上もしっちゃかめっちゃかで、まさに私の理想だった。
私はその人のちらかした文具を最小限だけかたずけて、
その人が教えてくれたやり方が間違っているのを知らぬふりをし、
銀行まで歩くスピードがスローモーションのようなその人に合わせた。
・・・社長がキレた。
しかも、私一人にキレた。
その人は後から、「私のせいでごめんな・・・」と謝ってきた。
私は胃が焼けるほどの屈辱を覚え、やっぱり自分が正しいやないか!と思った。
その人が退職してから追い討ちをかけるように、四方からその人の評判を聞いた。
仕事がとろくて有名だったのだ。
それから私は、その人が山のように残していったゴミ(その人にとっては仕事道具だった)を捨て、引き出しを生理整頓した。
パソコンの中身も一掃し、自分のやり方で早く仕事を出来るように必死になった。
社長は最初のイメージが強く、私を完全に辞めていった彼女と同じタイプだと思っていたのでいつも私に対してのみ異常に厳しかった。
私は、本当は出来る自分をアピールするのに必死になった。
来る仕事拒まず、馬車馬のように働いた。
社長は私を認めない。
私はどんどん仕事をこなし、本当はいっぱいいっぱいだったが社長に「お前まだ出来るんちゃうんか、周りの人間手伝ったれよ」と言われ、畜生!やってやる!もってこい!と息巻いて、もっと自分を追い込んだ。
周りを見たら、また、のんきに笑う皆がいた。
私は怒った。暇そうにしゃべっている人の分まで仕事を手伝っているのに
こちらの仕事が最も忙しい時、周りは何一つ手伝ってくれぬ。
社長とそれ以外の皆の、ちょうど真ん中で、私は浮いた。
どっちにも歩み寄れぬ。
そのうち私はいつかのお局のようになった。
一番新人の、一番性格の良い子が泣いた。私のせいで泣いた。
この事実は、私にとって、ショックすぎて今まで誰にも言ってない。
私は自分が、鬼に見えた。
親からもらった人生を腐らせてしまったと思った。
結局誰一人、私の周りにいないということがそれを証明していた。
良いことはただ一つ、あの時見えなかったお局の悲しみが分かるようになった事。
私は他人を悲しませる人間である、と思い続けた。
思い続ける事は私を悲しませた。
私も、泣いた。
死にたいと本気で思っていた。
自殺の仕方をネットで検索し始め、睡眠薬をなんとかして手に入れようと思った。
そんな中、ある金曜日の夜に突然、飼っていた猫が発作を起こした。
次の日の朝動物病院に連れて行ったら、あと2〜3日の命と言われた。
月曜が祝日の為3連休だったのでつきっきりで看病したが、持ちこたえた。
私は火曜日、看病のため仕事を休んだ。
風邪を引いたと嘘をつけば良いものを、会社にいってから平常心を保つ自信がなかったので結局バレるだろうと思い、正直に理由を言った。
案の定めちゃくちゃ叱られた。
猫も死んでしまった。
ここで私の全てが限界を突破、退職を決意した。
そしてカナダに行く事になるのだが、何の目標も希望もない、
ただ忙しく働いた金を使ってやろうと思ったにすぎない。
のたれ死ぬならそれで結構と思っていた。
しかし準備をするに従い、やがて期待が出てきた。
何か楽しい事があるかもしれない。
カナダに飛んだ私は毎日毎日が必死だった。
英語、生活、新しい友達との出会い、といった事に必死だった。
やがてバイトを始めた。
必死で仕事を覚えて、英語になれて、カナダを好きになった。
ところが気付いたらなぜか、同じ場所にたっていた。
バイト先で、私はまた、同じ場所にたっていた。
私は、また一人で、ちょうど真ん中に突っ立っていた。
ここでようやく、私は何かが少しずつ見えてきた。
私は、こまかい。
これは「性格」ではなく、「性質」だ。
正しい日本語を知らない私だが、なんとなく私が持つこれらの言葉に対するイメージを当てはめるとこういう事だ。
「性格」は治る、「性質」は治らない。
さらに、それはあくまでそういう「性質」だという事で、良い悪いなど振り分けられるものではない。
おそらく、DNAや育った環境で作られた私の一部であるにすぎぬ。
また同様に、私と対極にある「性質」もまた、それを持つ人の一部であるにすぎぬ。
そして私がこんな風に気付くよう、助けてくれたのが他ならぬ、対極の人達だった。
私が自分の「性質」に悩み、どうしても変えられないように、
誰かも多分「性質」に悩み、変わることはない。
これに気付いた事で私は、丸くなった。
つまり、「性格」が変わったのだ。
変わったのはあくまでも「性格」であって、自分と違う他人を許す努力をし始めた訳で、決して突然何も気にならなくなったわけではない。
既に視界に入っているものには、当然もう気付いているのであるからどうしようも出来ない。
また、視界に全く入ってないものを気付こうとする事も、出来ない。
全く、人間は平等である。
私はこまかい人間の方が損だと思ってきたがそんな訳はない。
私は今後もこの「性質」を、片方の腕に大量に皿をのせて運ぶウェイトレスのように危なっかしくもバランスをとって生きていく。
残念ながら手に引っ付いているので途中で置けないのだが。
もしかしたらいつか、それを丸めて頭の上に乗せ、手ぶらで歩けるようになるかもしれぬ。
もし、こんな長ったらしいおもしろくない文章を読む人が居て、
もし、何か自分の事で悩んでいるなら、聞きたい。
それはあなたの「性格」ですか?
それとも、「性質」ですか?
人間の、美的感覚、どこへ行く。
- 2008/02/19(火) 22:50:10
今日、フジテレビでビューティーコロシアムという番組を放送していた。
容姿にコンプレックスのある方々がプロの技術で
美しくなり、心まで豊かになるという名目らしい。
出てこられる方々は、健康上よろしくない骨格あるいは
噛み合わせや活舌のため、矯正をした方がよいと思われる方と、
なんで?と思わせるような方がいる。
みなさんやはり、容姿に悩んできており、辛い思いもしてきている。
しかし、この番組、私にはわからない。
何を視聴者に求めているのか、わからない。
見ていて腹さえ立つ。
前者の方々やそのご家族にとってはこういう番組からの情報は貴重であろう。
しかし目線が気に入らない。
医療の現場から、あるいはスタイリストに密着して、という観点なら
価値があると思うし、実際そういうドキュメンタリーを見た時
私自身感銘を受けた。
しかしこの番組は違う。目線が、見世物小屋だ。
本当に、この番組を楽しく見ている人はいるのか。
どうしても見たい番組か。
たまたま身近にどうしても見たいという人がいた。母だ。
聞いてみた所、「いろんな人がおるんやなぁと思う」のだそうだ。
しかし、明らかに痩せて化粧さえすればかわいい女の子が出てきた時、
母は私と共に声を大にして怒っていた。
「そんなもん!ちょと痩せて化粧してニコッとしたら可愛いやんか!」
本当に、いろんな人がおるんやなぁ、などと思っているのだろうか。
司会者の和田某子ですら「必要なのは整形じゃない」と言う程である。
整形に反対しているのではない。やりたかったら自分で金払って
やれば良い。綺麗になれば良い。満足すれば良い。
自分で努力する前に自分の顔をいじろうとするのが気に入らない。
それより何より明らかに普通の人を選んで番組に呼ぶ製作側の意図が
どこにあるのか教えて頂きたい。
ひそかにそんな現代を風刺しているのか!
絶対違う!
番組に選ばれた希望者の「美」的改善の始まる前に毎回必ずご本人の映像の下に
「これで、あなたの美は約束されました」とルビが入る。
ここで約束される「美」とはもちろん容姿に関してのみであると
私にもわかるが、その基準は何だ。
だれにとっての「美」か。
ご本人か、執刀医か、はたまた視聴者か。
容姿はいずれ一つの決まった形に治まるべきだと思っているのか。
日記を読む人がいないので自分の事を2階の棚に上げて申し上げたが
嫌なら自分はそんな番組見なければ良い、という簡単な事でもない気がする。
自分の努力が足りてなかった事、あるいは努力の方向を間違えていた事、
それから自分自身の容姿がまたとない個性そのもの私自信である事に
気付いたのはつい最近である。
えらっそうに言っているが、こんな風に自分自身に気付いていくものではないかと思う。
それを妨害して、今まさに自分を勘違いしている真っ只中の人に
私はこの番組を見てほしくない。
聞いてくれ、ちょっと大事な、話をする。
- 2008/02/12(火) 16:21:59
本日から、ブログを始める事と相成りました、MEGSです
先週の火曜日、保健所に行って来た。
HIVの検査を受けに。
念のため、将来の家族のため、とはいえ結構軽い気持ちで行った。
血液検査なのでもちろん注射なのだが、
注射が苦手で例のごとく気分悪くなって横になり、
献血絶対出来やんよなーとかぼんやり考えていた。
血を抜いてくれたのは愛想もへったくれもない普通のおばはんみたいな
中年女性で、それでもそれなりに気を使ってバスタオルをかけてくれた。
毎週火曜日、こうやって検査来る人をどんな風に思っているのだろう。
毎週火曜日、どんな気持ちで検査の結果を伝えているのだろう。
匿名で検査できるけど本人が必ず1週間後以降に自分で
結果を聞きにいかないといけないため、
私につけてもらったナンバーが書いてある紙をもらって帰ってきた。
今日がその一週間後だった。
結果から先言うと陰性だったので「バンザイ!神様ありがとう!」
なのだがこの1週間、以前検査を受けた事がある子からも
聞いてはいたが、本当に、生きた心地がしない心地になった。
ほんまに感染しとったらどうしようとか検査を受けてから急に思うのだ。
保健所にはグレイのテルさんのポスターが貼ってあって、
「大切な人をまもるため、僕はここに来ました」と書いてある。
検査の時も、結果確認の時もそこに貼ってある。
初めてグレイのテルさんが頼もしく見えた。
グレイのテルさんもここに来たんか!
グレイのテルさんもこの生きた心地のしない心地を1週間
経験したんか!
ポスターに抱きつきたかった。
経験者はきっとみんな同様に感じたと思うが
この1週間を経験することが、大きく自分を変える。
そんなもの経験せざるを得ない状況に持ち込む無責任さが
あること自体おかしいと思う人もいっぱいいると思う、しかし
その無責任さがある人も実際いっぱいいるのだ。
でも1週間でその無責任さを180度ひっくり返す事が出来る。
カナダでは感染の拡大が深刻で、若い子もたくさん、
定期的に検査していた。
日本人なら大丈夫って、今でも本気で言えるだろうか。
実際、検査の日も今日もHIV検査室の前で見たのはみな若かった。
それだけ、可能性があるのだ。
将来、自分が結婚するとなったら、相手が日本人でも外国人でも
検査を受けてくれるよう、お願いしたい。
ビビッて受けなくても事実はもう決まっている。
陽性ならそれが分かってから行動するしかないし、
それには知る事が必要。
陰性ならその生きた心地のしない1週間の後に、
生きた心地がする心地になる。
生きた心地がする時は、生きた心地がしない時とほぼ同時のように思う。
この経験は結構大事な事ではないだろうか。
自分は陰性だったからこんな事書けたけど陽性だったら・・・・。
だからこそ!
検査を受ける必要が100%ない方、安全対策して頂きたい。
すすんでこんな怖い思いをしなくても良い、と今だから思う。
ただ私は受けてよかったとおもう。
自分の中に正すべき姿勢があり、それに気付けた。
ちなみに検査は可能性のある行為から3ヶ月たってないと
正確に出ないそうだ。これ重要。
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